尹宮朝彦親王
1・ 尹宮 朝彦親王と一橋(徳川)慶喜の公武一和政権
尹宮朝彦親王は、文政七(一八二四)年伏見宮邦家親王の第四王子に生まれました。孝明天皇より七歳、慶喜よりも十四歳の年長であります。天保三年に九歳で本能寺に学び、同七(一八三六)年には 仁 孝 天皇の 猶子 となって奈良興福寺一乗院の門跡を継ぎ、同八年に親王 宣下 、同九年に得度を受けて 尊応 入道親王と称しました。
数え年で十三歳にして奈良に赴き、以後十六年間の青春時代を奈良で過ごしたわけです。少年時代に某社の 巫女 を 孕 ませた逸話が伝わりますが、その場所が分からないので、あるいは一乗院門跡になっても奈良には余り往かず、実際は常時京にいたのかも知れません。この十六年間に、親王が実際に何をしていたのか? これが問題です。
嘉永五(一八五二)年、二十九歳にして 粟田 口 青蓮院の門跡となって京都に戻り、 尊 融 入道親王と改称し、十二月には天台 座主 を兼ね、孝明天皇の 護持 僧 として諸事相談を受ける立場で朝政に与りました。因みに護持僧とは、 清涼 殿 の 二間 に持して天皇の身体護持のために祈祷を行う僧職で、東寺・延暦寺・園城寺の僧から選出されたのであります。
朝彦親王は生涯の転変激しく、何回も改称して最後には久邇宮朝彦親王を称します。一般には中川宮を以て呼ばれますが、 二品 弾正尹 の官職から 尹宮 とも呼ばれたので、本稿は時期に関わらず、原則としてこれを用います。
安政五年、将軍家定の継嗣として一橋慶喜を推し、また日米修好通商条約の調印反対の密勅を水戸藩に下した「 戊 午 の密勅」に関与した尹宮は水戸藩士から「今 大塔 宮 」(護良親王の再来)と讃えられましたが、大老井伊直弼に睨まれて安政の大獄に座し、安政六年二月五日に「 慎 」を命ぜられます。
予てより青蓮院宮を忌むこと甚だしかった幕府は、九月に重ねて宮の隠居・謹慎・永蟄居を朝廷に奏請します。親王に対する信任厚かった孝明天皇も、幕権の圧迫により十二月には裁可を下さざるを得ず、青蓮院を追われた親王は、相国寺の奥の藪の中のボロ塔頭に幽居して獅子王院宮と称します。密勅事件で朝廷側の首魁と 看做 された青蓮院宮は、早く云えば孝明天皇の身代わりとして処罰されたことになりますが、むろん真相は伝わりません。
尹宮の蟄居は安政六(一八五九)年十二月から二年半に亘りますが、万延元(一八六〇)年九月から文久二(一八六二)年四月までの十九か月間は一橋慶喜の蟄居期間と同期しています。明治時代の『大日本人名辞書』には、相国寺の藪の中の小庵にいた尹宮は「 而も 屈撓 の心なく益々皇運挽回の事に心を労せし」と述べられ、蟄居中にも国事を企んでいたとされています。
この間、蟄居を好都合にして世間から姿を消した朝彦親王と慶喜の両人が、京都あたりで秘かに逢って、公武合体策を論じていたとみる方が自然なように、私には思われます。
二年半後の文久二(一八六二)年四月、公武合体工作のために上洛した薩摩藩の国父島津久光が朝廷に働き掛け、朝命を受けた幕府が内奏する形で永蟄居を赦されて、青蓮院に復帰した宮は、同年末に僧籍のまま国事御用掛を拝命します。
明けて文久三年正月、将軍家茂の上洛に先駆けて入京した将軍後見職一橋慶喜が、親王の僧籍入り慣行の廃止と青蓮院宮の還俗を建白しますと、天皇は直ちに還俗の内勅を下し、以後は中川宮と称します。(弾正尹の拝命は同年八月十八日以後)
おそらく慶喜と尹宮の間には前以て交渉があり、慶喜の進言により還俗した尹宮は、以後大政奉還まで正に慶喜と 一蓮托生 の政治路線を歩みます。それが公武合体の「一尹政権」です。
安政六年の蟄居前とは打って変り、朝廷内の公武合体派の領袖となった尹宮は、慶喜を担いで幕府の再興を企んだ謀反嫌疑で幽閉される明治元年までの四年間、ずっとその立場で一貫します。幕末史を見るに、この期間の尹宮ほど立場の終始一貫せる人物は他に見当たりません。
徳川慶喜と組んで公武合体の一尹政権を保持する尹宮を、正面の敵と視たのが尊皇攘夷派を称した三条実美ら公卿と長州藩で、彼らは尹宮を「魔王」とか「陰謀宮」と呼んで極めて畏れました。勅勘を装って洛北に幽居し、薩摩藩と政治工作をしていた岩倉具視も、本音は倒幕派ですから、尹宮の排除を心がけていました。
尹宮と岩倉具視のバランスの上に立っていた孝明天皇が、崩御を装って本圀寺内の堀川御所に隠れると、朝廷は岩倉具視の一人天下になり、その二十日前には禁裏御守衛総督一橋慶喜が不在将軍職に就いて幕府の整理管財人となります。ここに天皇の権威と慶喜の政権意思を失った一尹政権は一瞬にして崩壊し、慶応四年は尹宮にとって政権の残務整理の年になりました。
尹宮の維新後の行蔵も興味深いものですが、後日述べることにいたします。
右は、平成二十四年十一月末に成甲書房から公刊を予定する、落合莞爾著『明治維新の極秘計画』の一節です。