アベノミクス成功の条件
アベノミクスは要するにケインズ政策に過ぎないが、ケインズ政策は経済学というより財政学であり、しかもその初歩的なマニュアルに過ぎない。医療に喩えれば根本的治療ではなく、単なる対症療法であるから、患者に体力や免疫力が備わっていれば、自然に病状は沈静化して回復するが、現下の日本の経済社会はどうであろうか。
ともかく、このままでは消費税の引き上げが出来るほどまでに景気が回復するかについては、大いなる疑問がある。戦前のアメリカは、ニュー・ディール政策では成功せず、結局太平洋戦争終結まで景気は浮上しなかった。
つまり、昨年4月に公刊した『金融ワンワールド』で私が予言したように、世界各地で内戦的戦争が起こってきた。内戦の是非は論ずるに由ないが、ともかく大規模化して物資需要の増大に繋がればむろんアベノミクスに追い風が吹くが、今は未だ小競り合いを脱していない状況である。
だから問題は、戦争関連消費に代わる大需要が外に出てくるかどうかである。現下の問題は、国民が土地を抱えながら金に飢えているのに、銀行は巨額の預金を抱きながらカネを貸せないから、カネが国内で回らないことで、銀行の預貸率が極端に低下して、内外の国債購入か海外融資に向けられている。
金利を限りなくゼロに近づけても詰まる所、国民の預金をわざわざ低金利で敵国に回し、敵国と国際金融仲介業者を喜ばせているだけである。ついでに喜ぶのは、巨額の国債を発行し続ける財務省であるが、彼らが喜んでいるのは国家国民のためではないことを、政治家と国民は即刻認識すべきである。
日本の景気を効果的に刺激するには、カネを使いたい者にカネを投げることしかない。と言っても、生活保護や地域振興券や、何とか補助金を出せというのではない。
再び言うが、国民が土地を抱えながら金に飢えているのに、銀行は巨額の預金を抱きながらカネを貸せないのは、現状の金融制度が、土地担保だけでは融資できない融資システムになっているからである。
或いは云うであろう。「それでは土地を売ればよいではないか!」と。それも尤もであるが、なぜそれができないのかが問題で、これを洞察するのが真の経世家なのである。
国民が土地を売らないのは社会的束縛と経済的環境条件である。したがって、売ろうとしない土地を担保に金融をつけるのが銀行本来の役割である。ところが最後に残った不動産を頼りに乾坤一擲、自らこの境遇に決着を付けようとしても、銀行は過去の「融資不弁済」を絶対的関門にして融資しないシステムと、「事業計画の精査」を条件にして、老人や失敗者にはなるたけ貸すまいとするシステムを作ってしまった。急速に老齢化する社会で年金支給年齢を遅らせ、高齢者の就労を進める動きに、銀行は逆行しているのである。
そこで世に増えてきたのが、土地を抱えながら金に飢えている一部国民で、やむに止まれず、土塀が少しずつバラバラと崩壊していくにように、保有土地を投げ出すのは目に見えている。
老いた動物は動きが鈍くなり、身の回りで餌をアサるしかなくなると、その身体から生きながら屍臭が漂いだす。その周囲にはいつの間にかハイエナが集まり、最後の刻を待っている。これが、バブルに巻き込まれたまま立ち上れないで、人生を無駄に過ごす個人地主の実情である。
立ち上がれないのは、銀行が手を差し伸べるどころか、融資を求めるその手を邪険に振り払ってきたからである。因って、最後には土地をするしかないが、いきなりそれをしないのは、彼と彼を取り巻く世間との関係があるからである。投げ売りまでの間を繋ぐのが高利貸しで、年利15%の高利で絞り取られた後、土地のポテンシャル(潜在力)に基づく正当な地価の半値で取り上げられる。
こんなことは誰の目にも判っているのである。そりゃ十に一つか二十に一つの例外はあろうが、それを以て現状の大勢を否定するのは、いわゆる学者それもエセ道学者であって、耳を傾けるに足る相手ではない。
いま必要なのは、土地を抱えながらカネに飢えている階層に対する合理的な、単純土地担保の無条件金融である。
バブル期のように土地担保・無条件融資を断行せねば、景気は立ちあがらない。銀行は単純に土地を担保に路線価の五割を融資する。あるいは、それをクレジット・ラインとして融資枠を設定する。それで商売を始めようが、老後消費でノム・ウツ・カウに使おうが、条件を付けない。
返済不能の場合は強制処分となり、土地をなくした彼は生活保護も貰え、老後は施設に移り、最後はおそらくそこで死ぬが、これは土地融資の結果ではない、どの道たどるのである。
あらゆる競売には、政府所管の不動産保有センターが路線価の6割で常に買いを入れることとする。業者はその上値で買いに行くが、落ちなかった土地は銀行を経て、政府所管の不動産保有センターに移り、将来の放出までの時機を待つ。
人間生活において、絶対に必要なものをあげれば、第一はなければ一〇分で死ぬ「空気」、次いで七日なければ死ぬ「水」である。その次は、身を横たえ生活を営む場の根拠となる「土地」であって、決して「金地金」ではない。土地こそ本当の国富であって、絶対的な価値がある。これを必要に応じて、国が保有するのに、何の問題もない。少なくとも、米国債を買わされ、敵国に間接融資するよりは、遙かに国家国民のためになる。
あるいは問うかもしれない。「土地が下がったらどうなるか」と。慥に、米ドルが下がったら巨額保有する米国債はどうなるか、敵国経済が破綻すればどうか。これと同じような問題に見える。
しかしながら、アベノミクスが失敗すれば悪性インフレとなる。消費財の暴騰ほどにも地価が上がらないかも知れないが、下がることはない。
アベノミクスが成功すれば、好景気のため地価は騰がる。どちらにせよ土地は上がる。
このまま放置すれば、アベノミクスは銀行融資方式の非現実性によって失敗し、預金者と土地保有者はどちらも損をする。得をするのは敵国と国際金融外資だけで、日本国民に勝ち目はない。
2013年6月25日 紀州文化振興会 落合莞爾