安西 正鷹
第一話 貯蓄性向の低下現象に見る経済的諸問題
1.日本人の貯蓄好き神話の崩壊
昔から日本人は貯蓄好きだといわれて久しい。将来に対する生活不安や住宅取得対策、倹約を美徳とする国民性、高い安全志向などが背景となっているといわれる。
その度合いを測る物差しとしてよく使われるのが「貯蓄性向」という指標である。
貯蓄性向とは所得のうち貯蓄に向けられる割合を示す。可処分所得を支出面から消費と貯蓄に分けるとき、貯蓄に回される分の割合ということができる。
一方、これと対を成す指標が「消費性向」である。
個人家計の収入から税金などの非消費支出を差し引いた残額を可処分所得というが、この可処分所得のうち消費支出にあてられる額が占める比率は消費性向と呼ばれる。
貯蓄性向と消費性向の和は1となる関係にあり、お互いに正反対の関係にある。
過去約30年間にわたって貯蓄性向の推移を調べてみると、貯蓄性向は減少し続けていることが分かる。
「OECD Economic Outlook No.89(May 2011)」によると、日本の家計貯蓄率(家計貯蓄÷家計可処分所得。但し、家計貯蓄=家計可処分所得−家計消費支出)は、1991年の約15%から1999年には約10%、2009年には約5%にまで減少している。
かつて日本は高い水準を誇っていた。家計貯蓄率において、1990年代前半は他の先進諸国と比べても高い数値を示している。しかし、2000年代に入ると日本の家計貯蓄率はこのように急速に低下してきたのである。
先進諸国の例として、EU圏の大国であるドイツとフランスを採り上げてみよう。
先ずドイツの場合、1991年の約13%から1999年には約10%に低下した後、2009年は約11%に微増した。フランスでは1991年の約10%から1999年には約12%に上昇し、2008年も横ばいの約12%であった。過去約20年間、両国は10%〜15%の狭いレンジ内で安定的に推移してきたといえよう。
次に、日本と対極に位置する消費性向の高い国として引き合いに出されてきた米国の場合はどうか。1991年の約7%台から1999年には約3%まで低下している。ところが、2009年には逆に5%超まで増加している。しかも、驚くべきことに、日本を上回る逆転現象を起こしていたのである。
日本の急激な貯蓄性向の減少は、貯金を取り崩して生活する年金生活世帯(消費性向がたいてい1を越える)の増加が原因だというのが通説となっている。 実際、世帯主年齢別にみると、60歳以上の世帯が過去15年で約2倍に増え、世帯数の約5割、消費額の約4割(2006〜08年平均、二人以上世帯)を占めるに至っている。
また、勤労者世帯でも労働力の流動化や賃金体系の見直しで可処分所得が減少したことなどが影響したという分析もある。
日本人の貯蓄好きという定説はこのように揺らいでいる。否、このような生ぬるい表現では飽き足らず、もはや過去の伝説とまで断言する向きもある。
貯蓄性向の低下に関する詳細かつ精緻な分析にはこれ以上立ち入らず、コメントは差し控えることとしたい。
本稿の目的は、日本人の貯蓄性向という一つの経済現象を多角的に検証することによって、政治、経済、社会、歴史等を包括的に含む文明学的な意味合いを浮き彫りにして、問題提起するところにある。
次回以降は、「貯蓄性向」というキーワードから、現代日本経済に潜む「病巣」、さらには近現代の金融経済制度に秘められた「人類を不幸にする仕組み」を剔抉していくこととしたい。(つづく)