狸仙近現代史 改訂版
第二話 堀川勢力の淵源と根底
4 海民シュメルのその後
海民シュメルの淵源たるメソポタミア南部の潟部は、ティグリス・ユーフラテスの二大河の運び来る砂泥によりしだいに埋まり、現在のイラク・クエートの地となっています。いつの頃にか、この地を脱出した海洋シュメルの一派は、カナンの地(パレスチナ地方)に移り、セム語族のカナン人と言われる種族に混入しました。彼らの使用言語が膠着語からセム語系に変化したのは、外部環境に影響されたのか混血したためか、はっきりしませんが双方の要素があるのでしょう。
カナン人と実は同体のフェニキュア人は、レバノン杉で造った船により海上交易に従事し、エーゲ海に面するトロイ(現在のトルコ共和国西海岸)を本拠として、前1200年代にギリシャと戦い、敗北します。その後、レバノンに本拠を移したフェニキュア人は、前800年代には北アフリカのカルタゴ(現在のチュニジア)に港湾都市を構え、洋上貿易の拠点シシリー島の覇権を巡ってギリシャと戦い、さらにギリシャの覇権を継いだローマと長期間戦って善戦しましたが、最後には敗れました。
その後、フェニキュア人は分散流浪して世界各地の潟部に港湾を築き、交易民としての生き方を選んだようであります。その一部が日本列島に渡来したのは当然で、最も古い一派はインド洋から南海の島伝いに海路日本に渡来しました。後に、海のシルクロードと呼ばれるシーレーンであります。
日本列島に渡来した海洋シュメルがフェニキュア人の末裔ならば、その言語はセム系の筈ですが、実際に日本列島に残った日本語は膠着語です。之については数学的な順列組合せによって何通りもの仮説が組み立てられますが、煩瑣に亘るので省略し、狸仙仮説を述べますと、現代日本語の膠着語は、海洋シュメルの後に渡来した山地シュメルによって、日本列島にもたらされたものと思います。
後の橘氏・酒井氏(堺氏ともいう海民平家の一派)が海民シュメルに該当するらしく、細かく分けると橘氏がシュメル、サカイ氏がインドから橘氏を運んできた水軍で日本ではヘイと呼ばれる地下の平氏になりました。分派が今もフィリッピンにいますが、両氏は既に混淆して血統的に別けられなくなったと聞きます。
ともかく、シュメルが渡来した時の日本列島は縄文時代で、橘族・サカイ族(ヘイ氏)はヴュルム氷河期を生き延びた南方モンゴロイドのと混生して縄文民となったため、文化的にポリネシア文化と混和し、形質上では南方モンゴロイドに大きく近づきます。
日本列島に先進文明をもたらした海洋シュメルは、生業が水産と交易ですから、大規模な治山治水を強行し、農地を開墾させ、大型石造物を建設させるために多数の奴隷を使役する中央集権的社会体制を必要とせず、日本列島在来の分権型社会をそのまま残し、平準な縄文式社会構造を作り上げました。こうして生まれた列島社会の原初天皇はおそらく橘族で、宗教はオリエント多神教であったと、狸仙は確信します。