狸仙経済夜話
第一話 アメリカが試用した土地本位制の崩壊
5・土地本位制の要件
金本位制の根本が、金地金の受け渡しを以て債権債務の究極的決済手段とすることは天下周知のところであります。土地本位制も、根本は土地所有権のヤリトリを債権債務の究極の決済方法とするものですから、この点では同じと謂って良いのでしょうが、動産と不動産の本質的差異から、それ以外では全く異なります。
土地本位制とは言っても金融学が定義する「本位制」とは異なりますから、金融学者からは比喩的用語として扱われてもやむを得ないが、そんなことはどうでも善いのです。細かい制度的比較はここでは措くとして、肝心な点は、日本の土地本位制は「地価の安定」を目的とした静態的な性格のものではなくた、「地価の持続的上昇」を潜在条件にした動態的な性格のものである、ということです。再び拙著を引用します。
地価の上昇・高株価政策
不動産担保制度は戦後我が国の銀行貸出の制度的原則となり、土地信用制度が金融政策の根本に居座ったが、さらにこの制度は「地価の持続的上昇政策」と絡み合って、その効用を倍加させるのである。
地価の上昇は次の例のような利点がある。まず企業用地の高騰は「跡地売却による会社整理」を容易にするから、産業構造転換を円滑化する潤滑油となる。都市近郊の農業地の市街地拡大に伴う値上がりは離作による転業原資を補給する。老人の保有する不動産の価格上昇は余生の生計費を補って余りある。
こうして地価上昇は経済社会の矛盾を和らげ、対立を解消するのに甚だしく有効であった。戦後社会が先鋭な対立を見せずに、柔軟にその構造を変え得たのは、ひとえに地価の上昇(のため)と言っても過言ではない。それも多少のブレを伴いながらも、決して乱高下せず持続的に上昇したから「地価神話」を形成し、大小企業の土地投資や労働者の実物貯蓄的な土地購入が円滑に行われる風潮を導いた。この時期にわが国の各企業が企業住宅の建設を進める一方で、「持家制度」を拡充して、従業員に融資付きで住宅取得を勧めたのは、この土地本位制度に対する実務者流の直覚的理解によるものであった。一方公務員に対しては公務員住宅を建設するばかりで、かかる配慮が行なわれなかったことは、所詮は『マ(ッカーサー)幕府の政策系統からは土地信用制度に関する理解がまったく出てこなかったことの証左であろう。
また地価上昇は企業の会計上の簿価と時価との乖離、いわゆる「含み資産」を産んだ。
企業所有の土地は営業年度ごとに回転していく棚卸資産などと異なり、入手したら最後長期にわたって保有される。この土地の価格上昇に関しては、事実上の(潜在)利益に関して課税を延期することを意味するとともに、株主・従業員からの利益配分の要求も回避させ、企業の経営安定に役立つところが大きかった。またこうした「含み資産」の発生により企業は表面上の変化がないまま、いつしか充実した資産内容の会社に変身してくる。
ところが「含み」が企業経理に大きな歪みをもたらしているにもかかわらず、これを正当とするわが国の会計慣行に欧米資本はすっかり騙されてしまった。第一「含み資産」を補正注記しないようでは企業のバランスの実態は判らず、欧米人には何のためのバランスシートか判らない。たいてい債務過剰(オーバー・ボローイング)の危ない会社に見えてしまう。
実は「含み資産」の存在により資産・債務比率は当然適正状態を保っていたのであるが、そのことを明らかにする文書・理論・学説は一切なかったのが面白い。わが国の輸入経済学者や洋学エコノミストなどもこの点に気付くことなく、一般欧米人の視点から日本企業を眺めて、日本人経営者やサラリーマン、学生に説教していたのは笑止と謂うべきである。この間、地場の経営実務家やアジア種の在日外国人は、このような妄説に惑わされずにせっせと所有土地を広げていた。(中略)
地価の持続的上昇をもたらしたものは、土地需要と土地神話とその基礎にある土地信用システムである。要するに日本経済それ自体であった。
後半部分をいま読み返すと、まさに隔世の感があります。バブル崩壊後の日本の経済社会は、完全に位相(Phase)が転移してしまいました。バブル崩壊と経済変動による地価の崩落により、各企業の含み資産は今や総じてマイナスに転じたからです。狸仙が十年前から流寓する紀州和歌山城下は、県庁御用達で公金取扱いの紀陽銀行が、商店街として有名なブラクリ町に隣接する旧一等地に聳えています。本館の南に隣接する駐車場は、もともと狸仙の級友が先祖代々蕎麦屋を営んでいた土地ですが、バブルの最中に地上げされ、150坪の土地を坪(3・3平米)当たり1500万円とか2000万円で紀陽銀行が取得したそうです。バブル期の市内最高の地価は、紀陽銀行北隣の竹庄洋傘店で坪当たり一千何百万円でしたから、順当なところと噂されておりました。
ところが、ブラクリ町の辺りは、自動車の進入が不便なことから、その後急速に商店街の地盤沈下が進み、バブル崩壊後の消費不況と相まって、今はシャッター街となっています。例の竹庄洋傘店の後に入っていたマクドナルドは夜間の人通りが全くなくなって、このほど撤退しました。現在の地価は坪当たり70万円と謂うことですから、紀陽銀行にとっては、蕎麦屋の跡地だけでも20億円以上の含み損となったわけです。ブラクリ町の商店主と紀陽銀行の株主たちが地元出身の竹中平蔵君の不平を並べているのは、これを市場経済の結果として甘受すべきかどうか、判断が付きかねているからでしょう。
バブル期の地価高騰で資産格差が生まれたことで、借地・借家階層から怨嗟の声が上がり、政治家・官僚はその声に怯えて何が何でも地価を下げようとしました。税制も金融も、何もかも、「とにかく地価さえ下がれば善い」、との浅はかな心で場当たり政策を繰り返し、それが見事に当たって、全国にブラクリ町現象を招来しました。
狸仙の言いたいのは、土地本位制は今でも最も有効な金融政策であるということです。しかし、条件が付きます。それは、地価が全般的に下落する状況では却って逆効果となるから、実行に当っては、「地価の緩やかな持続的上昇を必要条件とする」ということです。これは,以前言われていた自然金利と同じ考え方で、年率2〜3%ほどを自然地価上昇率と見て、これをターゲットとして土地政策を運営すべしということです。そのためには根本的な地価管理政策が必要で、地価の高騰は勿論、下落も放置すべきではありません。
東京の土地バブルのピークは昭和末年と思いますが、それが関西に飛び火して日本の土地バブルがピークに達したのは平成2〜3年でした。平成元年末に日銀総裁に就いた三重野康氏は、相次いだ金融引き締めに融資総量規制を実行して、土地と株式のバブルを崩壊させました。これで政府・日銀は日本経済の打ち出の小槌、もしくは金の卵を産む鶏であった「土地本位制」を、見事に壊してしまったのです。評論家佐高信が「平成の鬼平」と呼んで持ち上げました。日銀総裁は幕閣の勘定奉行をはるかに超える重臣で、火付盗賊改役の長谷川平蔵に比すのは失当を通り超えています。佐高は左翼の通例として国家秩序を否定して喜ぶ性向から鬼平説を言い出したのに、三重野氏当人が舞い上がってしまったのは、まことに情けないことでありました。
アメリカでは、FRB議長のアラン・グリーンスパンが、1996(平成8)年ころからのITバブルが崩壊をみせるや、これを2000(平成12)年に軟着陸させて好評を博しました。狸仙なども、「三重野さんとは大違い。さすがに金融ワンワールドの本家はたいしたもの」と讃嘆を惜しまなかったのですが、後に見るように、これは正しくなかったようです。 平成23(2011)年9月16日
狸仙しるす