狸仙近現代史  改訂版

第二話 堀川勢力の淵源と根底 

1.日本皇室の淵源

 わが皇室は明治維新後、万世一系の國體を保全するため、秘かに表裏二元に分離しました。すなわち、四百数十年ぶりで復元した南朝系東京皇室の明治天皇が大日本天皇として君臨し、孝明天皇の皇子睦仁親王が秘かに京都皇統を継いで大陸・満洲政策と国際金融に当たり、東京皇室を支援しました。この皇室二元性の淵源をなす「堀川政略」について従来述べてきましたが、この辺でその根底を説明せねばなりません。

「堀川政略」は、ウィーン会議で成立した欧州王室連合の世界戦略に対する対応策として、光格・仁孝・孝明の閑院宮系の三代天皇が建てたものであります。ことの発端は1814年9月1日、ナポレオン戦争後の欧州の秩序再建と領土分割を目的として開催されたウィーン会議で、翌年ウィーン議定書を締結してウィーン体制が成立します。この時、スイスの独立と永世中立が保障されたことはスイスが王室連合の金庫国となったことを意味しますが、同時に、ナポレオン戦争の最中に巨万の金融益を獲得したネイサン・メイアー・ロスチャイルドが欧州各地に拡散したロスチャイルド一族の司令塔となり、国土国民を持たないロスチャイルド金融帝国を樹立して、その皇帝となったのであります。時に文化11年で、わが朝は光格天皇の36年、政体は将軍家斉の28年でありました。

ウィーン体制の実質は欧州王室連合でありますが、その実態を外部から窺い知る術がなかったため、その根底を成すものが「ヴエネツィア・コスモポリタン」であることは、いまだに知られておりません。どの国の教科書にも全く出てこない「ヴエネツィア・コスモポリタン」は、現代知識人が密かにその存在を実感している国際金融連合(金融ワンワールド)の上部構造であります。平たく言えば、「世界支配勢力」と称するほかない存在ですが、基本部門が3つあり、宗教・金融・軍事これであります。宗教部門がヴァチカン、金融部門がロスチャイルドであることはご高承の通りですが、軍事部門が何であるかは、後述いたします。ヴエネツィア・コスモポリタンについては、狸仙経済夜話の3をご覧ください}。

外国船の来航が18世紀末から活発化した経緯は、どの歴史教科書にも載りますから、本稿が述べる必要はないでしょう。欧州王室連合成立の衝撃波が地球を一周して日本に到達したのは、ウィーン会議の半世紀後です。19世紀半ばには外国船が頻りに到来して開国を迫りますが、これは世界支配に向けて始動した欧州王室連合が、太古からの因縁により、わが皇室に参加を求めてきたわけです。のみならず、国際貿易・金融体制への参加を迫ってくることも必定で、その時になって國體を理由にして拒むことは最早不可能なことを光格天皇が覚られたのがいつ頃か、定かではありません。

王室連合の成立は世界史の新段階を意味しますが、その眼が日本皇室に向くのは、そもそも皇室の淵源が太古のシュメルにあり、欧州王室と同根だからであります。つまり、太古のシュメルに生まれた政治を専門的職能とする族種が世界に拡散して諸王室の基となっているのは非教科書系史学の説く通りですが、シュメルは1種ではなく、後述のように「山」と「海」の2族種というべきかも知れません。