*この真贋事件の根本原因は?
結局、米子の加筆につきると思います。米子が自分の生活のために売った「佐伯派作品」
が画商を通して、各地の美術館などに売られているからです。売ってしまった画は、疑義が生じて返品
となった場合、購入金額を全額返済する必要があるそうです。そんな事になってしまうと「佐伯派作品」
を売ってしまった画商達は、経済的に破綻してしまうため必死で、「吉薗佐伯 = 佐伯作品」の出現を阻止
したのです。
*選定委員は何故、真作派→贋作派になったのでしょうか?
贋作派の朝日晃氏、東京美術倶楽部と共にで贋作と鑑定した山尾薫明氏も当初は、真作派でした。
平成4年10月、吉薗資料をみせられた朝日氏は、「吉薗さん、これは本物ですよ」と言い、何度も電話
してきたそうです。山尾薫明氏は、平成5年6月25日に発足した「佐伯祐三を知る会」に河北氏ら後の
選定委員のメンバーとともに賛同していたとのことです。
それなのに何故、贋作派になったのでしょうか? やはり、画商達との関係ではないでしょうか。評論家
など画商との付き合いが深かった人ほど、早い段階で贋作派に転向しているように思います。
評論家、学者、美術館関係者などは画商達と敵対関係になっては困ると言った事情があるのでしょう。
*結局....。
画商達が一目置かざるを得ない美術界の大物である河北氏が「吉薗佐伯」を真作と発表してしまったため、
今回の事件は、複雑になったのではないでしょうか? もし河北氏がいなければ今回の事件は、早い段階で
表沙汰とならずに葬り去られていたのではないかと思われます。河北氏がいたために、選定委員達も安心
して真作との主張ができたのだと思います。ところが、河北氏が病床に臥した時点で流れが完全に贋作派
に向いていきました。選定委員達は、河北氏亡き後の自分の立場に考えを巡らせたかも知れません。
逆に河北氏があと2年長生きしていたら、流れは全く変わっていた可能性も考えられます。
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