佐伯祐三真贋事件の経緯
●経緯 - 経緯のまとめ
  平成6年、岩手県遠野市に住む主婦(吉薗明子氏)が福井県武生市に未公開の佐伯祐三の作品38点を寄贈することになりました。寄贈を受ける武生市は美術界の大御所、河北倫明氏を座長とした選定委員会を設置して調査した結果、12月18日寄贈作品は真作であるとのお墨付きを得ました。
選定委員は、以下の豪華メンバーです。
座長:河北倫明(美術館連絡協議会理事長)
委員:富山秀男(京都国立近代美術館館長)
陰里鉄郎(横浜市立美術館長)
西川新次(慶応大学名誉教授)
三輪英夫(東京国立文化財研究所美術部第二研究所長)
メンバーのうち西川氏は仏教美術が専門であり武生市出身ということで館長就任が予定されていました。
しかし、それ以外のメンバーはいずれも日本近代美術史研究を代表する権威のある方ばかりです。特に座長の河北氏は文化勲章の受賞者選定にも影響力を持ち、全国各地の美術館建設に関与してきた美術行政のドンと言われてきた人物でです。しかも河北氏は東京美術倶楽部の顧問でもあり美術界、画商の両方に大きな影響力を持っていました。
ところが、12月25日画商の団体である東京美術倶楽部がこの佐伯作品を贋作であると発表した所からこの事件が始まります。東京美術倶楽部は、贋作の根拠として、
1) キャンバスがテトロンを含んでいる
2) 絵の具が酸化していない
3) 画布に打ち付けたくぎは顕微鏡検査ではさびていない
の三点をあげました。
この贋作発表の翌日である12月26日、東京美術倶楽部の三谷会長、鑑定委員の長谷川徳七氏、美津島徳蔵氏の3人は選定委員座長である河北氏を訪れ、会談を行いました。会談後、河北氏は次の2点を提案します。
1)美術市場を混乱させないため、寄贈絵画と資料を市場に出さず、凍結する
2)寄贈絵画38点から数点を選び、第3者機関で科学的な調査をする
真贋事件が始った翌日に両陣営の首脳が会談するという奇妙な話ですが、この時点では真作派の方が優勢のように見えます。
その後、武生市が平成7年2月に贋作の根拠の1つであるテトロンの混入の調査を行い、キャンバスの材質は麻との検査結果が出て「テトロン説」は崩壊します。それにも関わらず、河北氏が病床に倒れたことをきっかけとして贋作派が盛り返し、選定委員までもが贋作派よりに傾いていきます(河北氏は、平成7年10月に逝去)。結局、武生市も選定委員の流れに乗ってしまい「贋作」と判断して寄贈話はご破算になってしまいました。
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