小林報告書
吉薗資料の筆跡鑑定に関して
●落合報告書の存在
●筆跡鑑定に関して ・・・ 小林報告書の筆跡鑑定の問題点
準備室は吉薗周蔵、佐伯祐三、佐伯米子、佐伯千代子(佐伯の義姉)について筆跡鑑定を実施した。佐伯千代子の「塩昆布持参の置き手紙」も持ち込んだが、結局、鑑定不能だった。このとき、被鑑定資料はすべてコピーであった。だから「鑑定でなく検査ということでなら、引き受けましょう」としかいわない小塚昭夫に、むりに鑑定させようとしたところが、そもそも強引すぎた。 さらに決定的だったのがは、被鑑定資料にも対照資料にも、代筆が混じっていたことである。被鑑定資料では、『米子借用書』と『米子年賀状』の二通とも、クラタ由(由子または由枝)の代筆であるが、武生市準備室が当初鑑定に持ち込んだのは、この二通だけだった(その後、〆切直前になって独自入手した米子書簡のコピーを追加した)。対照筆跡では、吉薗周蔵の「真筆」としたものが、吉薗巻の代筆であった。準備室が独自に宮崎の吉薗家からもらってきた手紙らしいが、吉薗明子にその手紙を確認する手間を省いたため、自縄自縛となってしまった。 辛うじて鑑定作業と言えたのは、佐伯祐三の筆跡鑑定だけであった。その結果はたしかに「真筆でない可能性あり」と出たが、コピー対コピーという条件の下であるから、この結果に信頼をおくべきではない。 それは、仮に真筆だとしても、鑑定人を責めることはできないからで、そのような条件下で行われた作業を鑑定と見做す事はできない。また、前二者にみられた明白な異筆性が、小塚鑑定人の先入観に与えた影響もまったくないとはいえないだろう。 因みに、私の側が依頼した田北鑑定人によると、佐伯祐三についても「真筆」と出ていた。 私は小塚鑑定人に、未公開の米子書簡の鑑定を現物で依頼し、一月二十六日、真筆との結論を得ていたことは前述の通りである。 「天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実」316項〜 |
資料 | 小林報告書 | 落合報告書 | 備考 |
1.佐伯祐三関連 | |||
鑑定人 | 文書鑑定研究会名古屋鑑定事務所小塚文書鑑定研究所 小塚昭夫 |
田北筆跡印鑑鑑定人事務所 田北勲 |
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検査資料 | 吉薗明子から提供された佐伯祐三資料とするもの(コピー) | 吉薗明子氏から提供された佐伯祐三の資料とされるもの (あ)罫入りノートに書かれた『第二次渡仏時代の日記』の一部、「書き置きの事・・・」 (い)画用紙に描かれた『郵便屋さんデッサン』の裏面の書き込み |
落合報告書の検査資料(い)は落合氏の著書の口絵に掲載されているもの。 |
対照資料 | 関係者から提供された、佐伯より友人宛の手紙類(コピー) | 佐伯祐三関連書籍に掲載されたもの (A)朝日晃著 『佐伯祐三のパリ』所収の葉書、「正月三日巴里市へ・・・」 (B)山田新一著 『素顔の佐伯祐三』所収の書簡3通 |
小林報告書の鑑定は、コピー対コピーで行われ、小塚氏は「鑑定ではなく検査ということでなら、引き受けましょう」とコメントした。 |
結論 | 検査資料の佐伯祐三の資料中に書かれた筆跡は、佐伯祐三本人の筆跡とは認められない。 | 検査資料(あ)、(い)に書かれている筆跡と、対照資料の(A)、(B)に書かれている「佐伯祐三」自筆の筆跡とは、全くの同一人に依りて書かれた符号一致する筆跡であると認める。 | 小林報告書の鑑定はコピー対コピーの条件であるので信頼性は低い。 |
考察 | 検査資料と対照資料の対照では、検査資料の筆跡群で仮名遣いの混乱が認められ、当時の文章としては些か疑問がある。新漢字使用については、略体字として当時でも通用していた文字もあることは事実であり、使われていても、直ちに、不審とは言えない。対照資料に筆跡群は仮名遣いが確かであり、両者の筆致の差からも、両者が同一人筆跡であることについては疑点があった。更に、個々の文字の対照で、字句の使い方の誤りや書体の違い、書き癖の違い、筆順の相違が認められ、同一人筆跡とはとても言える資料ではなかった。 | 吉薗資料に新漢字を使用しているから偽物だという主張もあるが、新漢字の成り立ちを調べればその主張が的外れであることは明らか。 | |
2.佐伯米子関連(1) | |||
鑑定人 | 文書鑑定研究会名古屋鑑定事務所小塚文書鑑定研究所 小塚昭夫 |
文書鑑定研究会名古屋鑑定事務所小塚文書鑑定研究所 小塚昭夫 |
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検査資料 | 吉薗明子から提供された手紙、はがき、借用書文(コピー) 準備室が独自に収集した米子より吉薗周蔵宛の手紙(コピー) |
吉薗明子氏から提供された佐伯米子の書簡とされるもの (1)ノートよう紙片に書かれた手紙、「先日、おたつね致しましたら・・・・」 (2)和紙に書かれた手紙、「お手紙してもお便りもなく・・・・」 (3)和紙に書かれた手紙、「あなたはどうしてもお手紙・・・・」 (封筒入り、「市外代々幡町四七六 吉薗周蔵」宛 「芝区新幸町六 佐伯米子」差出し) (4)和紙に書かれた手紙、「今朝程藤根様が大八車で・・・・」 (5)ノートよう紙片に書かれた手紙、「今、藤根様がまたまた絵を・・・・」 (6)和紙に書かれた手紙、「あなたのおやさしい お心を・・・・」 (7)和紙に書かれた手紙、「ことづて ききましたは・・・・」 (8)巻き紙に書かれた手紙、「先日お手紙さし上げまして・・・・」 (9)巻き紙に書かれた手紙の一部、「あんまりご無沙汰致して・・・・」 (10)巻き紙に書かれた手紙の一部、「昨日はまことに・・・・」 (11)巻き紙に書かれた手紙の一部、「・・・時には、夕方でも一度おこし・・・・」 (12)罫入りの便箋に書かれた手紙、「お二人様皆様お元気ですか・・・・」 (13)和紙に書かれた手紙、「吉薗さんなくなられていたのに・・・・」 (封筒入り、「千葉県千葉市横戸 吉薗周蔵」宛 「新宿区中落合2−4−21 佐伯米子」差出し) (14)封筒、「東京市外代々幡町四七六 吉薗周蔵」宛 「東京芝区二葉町四 池田方 佐伯米子」差出し (15)封筒、「外代々幡町幡谷 吉薗周蔵」宛 「芝区新幸町六 池田方 佐伯米子」差出し (16)封筒、「吉薗周蔵」宛 「佐伯米子」 差出し |
小林報告書の鑑定は、明子氏が武生市側に提出した『米子借用書』、『米子年賀状』2点+1点。(のちに2点はクラタ由の代筆と判明)落合報告書の鑑定に比べて量が圧倒的に少ない。 |
対照資料 | 親族より提供された履歴書、手紙 公の機関より借用したはがき 関係者から提供された米子より祐三の友人宛の手紙 |
(A)荻須婦人から提供された、佐伯米子から荻須高徳氏に宛てられた書簡、 「荻須さんお元気ですか・・・・」 (B)荻須婦人から提供された、佐伯米子から荻須高徳氏に宛てられた書簡、 「おもひながら御無沙汰して・・・・」 (C)山田新一著 『素顔の佐伯祐三』所収の書簡、「九月六日 佐伯よね子 山田様昨日・・・・」 (D)山田新一著 『素顔の佐伯祐三』所収の書簡、「この頃やつとおちついて・・・・」 (E)報告人が入手した、佐伯米子から中河与一氏に宛てられた書簡、「先日はお手紙を頂き・・・・」 |
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結論 | 検査資料前段の佐伯米子の資料中に書かれた筆跡は、佐伯米子本人の筆跡とは認められない。 検査資料後段の佐伯米子の手紙資料中に書かれた筆跡は、佐伯米子本人の筆跡とは異なる可能性が大きい。 |
@検査資料の(9)、(10)、(11)、(12)、(13)に書かれた筆跡と、対照資料の筆跡とは、同一人の筆跡と思われる。 A(3)、(4)、(5)、(8)、(14)、(15)、(16)に書かれた筆跡と、対照資料の筆跡とは、同一人の筆跡の可能性があるものと思われた。 B検査資料の(1)、(2)、(6)、(7)に書かれた筆跡と、対照資料の筆跡とは、同一人かどうか不明であった。 |
落合報告書のコメントを見ても小塚氏の鑑定は非常に慎重であることが分かる。小林報告書のように少ない量では鑑定不能と判断されても仕方がない。 |
考察 | 検査資料では、全体筆跡や個々の筆跡の対照でNo.262〜266までの筆跡資料は、全体筆跡から、個々の文字の書き癖から、同一筆跡と言えたが、検査資料の書簡の筆跡は、これらの筆跡とやや異なるのではないかと思われた。そして、No262〜266の筆跡群と対照資料の筆跡の間では、全体の筆致や「米」字、「会」字、「佐」字、「伯」字で違いが大き過ぎ同一人筆致とは言えないものと解された。検査資料の書簡の筆跡は、筆致としては対照資料の筆致群と同範囲内の文字と思われたが、仮名遣いに混乱があった。しかし、個々の文字での書き癖の相違が多く指摘出来ず、やや質的検査に対する材料不足であり、完全に否定するだけのものがなかった。 | ||
2.佐伯米子関連(2) | |||
鑑定人 | 田北筆跡印鑑鑑定人事務所 田北勲 |
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検査資料 | 吉薗明子氏から提供された佐伯米子の書簡とされるもの (1)ノートよう紙片に書かれた手紙、「先日、おたつね致しましたら・・・・」 (2)和紙に書かれた手紙、「お手紙してもお便りもなく・・・・」 (3)和紙に書かれた手紙、「あなたはどうしてもお手紙・・・・」 (封筒入り、「市外代々幡町四七六 吉薗周蔵」宛 「芝区新幸町六 佐伯米子」差出し) (4)和紙に書かれた手紙、「今朝程藤根様が大八車で・・・・」 (5)ノートよう紙片に書かれた手紙、「今、藤根様がまたまた絵を・・・・」 (6)和紙に書かれた手紙、「あなたのおやさしい お心を・・・・」 (7)和紙に書かれた手紙、「ことづて ききましたは・・・・」 (8)巻き紙に書かれた手紙、「先日お手紙さし上げまして・・・・」 (9)巻き紙に書かれた手紙の一部、「あんまりご無沙汰致して・・・・」 (10)巻き紙に書かれた手紙の一部、「昨日はまことに・・・・」 (11)巻き紙に書かれた手紙の一部、「・・・時には、夕方でも一度おこし・・・・」 (12)罫入りの便箋に書かれた手紙、「お二人様皆様お元気ですか・・・・」 (13)和紙に書かれた手紙、「吉薗さんなくなられていたのに・・・・」 |
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対照資料 | 荻須婦人から提供された、佐伯米子から荻須高徳氏に宛てられた書簡、 「おもひながら御無沙汰して・・・・」 |
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結論 | 検査資料の(1)〜(13)に書かれている筆跡と、対照資料に書かれている「佐伯米子」自筆の筆跡とは、全く同一人に依りて書かれた符号一致する筆跡であると認める。 | 同様な資料を鑑定しているが、田北氏の鑑定は小塚氏の鑑定に比べて割り切りが良く、明快に判断している。 |
●落合報告書の鑑定結果が意味するもの
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