解明された南北朝史の本質:現皇室は南朝正統の嫡流

本書は、南北朝期の歴史の真相を日本史学上、初めて解明した名著である。
日本を愛する全ての人々、日本の未来を憂うる全ての国民に必ず読んで頂きたい本である。
外国勢力の介入を伴った「南北朝的危機」が、日本を襲おうとしている現代、本書のもつ意義は誠に大きい。

本書の結論を単純化して言うならば、現皇室は南朝正統の嫡流であり、巷間言われる南朝正統論は、全く歴史的事実ではないという事になる。

著者は、愛国の情熱と透徹した知性をもって複雑極まりない南北朝期の歴史的事実の本質を見事に解明している。
しかし、本書の根底をなす歴史観は、教科書的で平凡な年代記的な叙述とは遠くかけはなれている。
隠された歴史的事実の本質を名探偵さながらの推理力によって解明する、その探求法は、教科書的記述に慣れた人々からは、極端な陰謀論、もしくは謀略史観と批難されかねない。
落合史観においては「偽装死去(重要人物が死亡を装い、生き延びて歴史の裏側で活躍する)」や、「人物の入れ替え」などは、当然の事として扱われている。
又、本書においては「さる筋」からの断片的な情報提供(ヒント)が、秘密にされていた歴史の解明に重要な役割を果たしている。
落合流の歴史記述に不慣れなものは、こういった真相の探求法に躓いてしまうかもしれないが、是非、本書を読了して頂きたいと思う。
考えようによっては、歴史とは、謀略の連続であり、“謀略”対“謀略”の相剋の結果でもある。

本書が解明した最も重要な事実を列挙すれば、以下の様な事になるだろう。

  1. 後醍醐天皇の皇子の中でも、最も英傑の気質のあった護良(もりなが)親王は、獄死したと伝えられているが、実は生き延びて西大寺に入り、その後も影響力を行使していた。
  2. 護良(もりなが)親王の第一皇子は、北朝第一代の光厳(こうごん)天皇の第一皇子に送り込まれ、後に北朝三代目の崇光(すこう)天皇となっている。
  3. 南北朝統一後、崇光の直系の孫にあたる後花園天皇が即位する。これ以降、後花園流が日本皇室の血統となる。即ち、南朝正統の血が北朝に埋め込まれ、その嫡流が後花園系として、唯一の皇統となったのである。即ち、この時点において、南北朝問題は完全に解決していたことになる。現皇室は言うまでもなく、後花園流から発しているから、南朝正統の嫡流といって差し支えない。後花園天皇となる彦仁(ひこひと)親王は、護良親王の四代目の子孫(ひ孫)である。
  4. 後花園天皇は、弟の貞常親王に永世伏見殿の号を勅許され、伏見殿は何代後にあっても親王となれる永世親王家となった。これは謂わば、伏見殿が恒久的な皇統の予備血統となったことを意味する。即ち、直系の血が絶えた場合は、いつでも伏見殿から親王を輩出し、皇統を絶やさない仕組みが完成されたわけである。

以上のような、複雑な政治工作を総体として、著者は「大塔政略」と名付けている。それは、護良親王の別名が「大塔宮」であったからである。
この政略は、南朝の後醍醐天皇と北朝の御伏見上皇ら三人の上皇らとの話し合いで決定され、百年近くの歳月を経て実現したものである。
後に、崇光天皇となる大塔宮皇子が誕生したのが建武元(1334)年であり、後花園天皇が即位したのが正長元(1428)年である。

本書において、著者は南北史以外の分野でも、その歴史的知識と洞察力の鋭さを、いかんなく発揮している。
例えば、著者によれば、日本民族の三大源流は、以下の3つであるという。(P140)
1)縄文時代から土着してきた人々。(海人族とアイヌ)
2)弥生時代を拓いた雲南由来で越(浙江省)経由で渡来した倭族。(古代イスラエル遺民のアマベ、秦氏につれられて大陸から渡来)
3)弥生時代以降に渡来したトルコ系騎馬民族

これのみならず、ページ毎に、目から鱗の落ちるような新鮮な歴史観が展開されており、これもまた本書を読む楽しみの1つとなっている。
本書を謀略史観といって片づける事は許されない。もしそう主張する者があれば、その者は、本書で定義された様々な歴史上の疑問に、落合氏以上に納得のゆく総合的で合理的な回答を与えなければならない。
例え、落合史観を否定する者にも、是非、読んで頂きたい。合理的な反論があれば、著者は必ずこれに応答するであろう。
実は本書は、同じ著者による『明治維新の極秘計画』と密接に結び付いた著作である。こちらの方も合わせてお読みになる事をお薦めしたい。

 

藤井厳喜