個別品解説

 6・青花白堆・龍文大天球瓶(奉天品番164)

 

 実物と来歴

 

左図は、やや上から撮影しているので、瓶の首が太く見えるが、右図は真横から撮影したもので、本品のバランスの良さが善く分かる。

 天球瓶と呼ぶこの器形の発祥は古代銅器にあり、時代の好尚に依って器形が変遷することは他の器形と軌を一にする(この点、尊式瓶は例外であろう)。

稲垣伯堂師の画室で、平成2年から逐次行われた紀州家由来中国古陶磁の引き渡しの中で、本品はやや後で季節は夏だった。同時に3〜4個の天球瓶を見せられ「今回は1点だけ」と言われて、かなり考えた上で結局これを選んだ。

その後始まった『陶磁図鑑』の編纂会議では、年代をめぐって論争があった。器形から清朝を唱える一派と、品格から元の盛代を主張する別派の対立となったが、最終的には風格を重んじて、私(落合)が元代説を採ることにした。

 

因みに、天球瓶の形を分ければ、裾の窄まり方の違いで、リンゴ型と蜜柑型がある。

説明: C:\Users\ochiai\Documents\Scanned Documents\Documents\sentokutenkyu.jpeg  説明: C:\Users\ochiai\Documents\Scanned Documents\イメージ (23).jpg  

 左図は明初の「青花龍文天球瓶」で、観た通り蜜柑型である。右図は清朝天球瓶の一典型「乾隆款粉彩九桃図瓶」で、裾が長くて窄まるリンゴ系である。

 改めて本品を見るとそのどちらでもない縦長形で、要するに本品の器形は明初には見ない形で、むしろ清代品に近い。

とにかくその風格に圧倒された本会が、代表理事(落合莞爾)の尚古趣味もあって元代品と判断したのは、平成3年のことであった。

説明: C:\Users\ochiai\Desktop\IMG_0900.JPG以後も研究を続けていながら気付いたのは、左図で分かるように青花のダミが宣徳青花に近いが、よく見ると意図的に付けたように見えることである。

元代の染付(青花)にはこのような特徴はないから、「これやはり後代の倣古品か」との説が台頭して、落合代表も其の説に傾きかけた。

そこへ出現したのが「奉天図経」で、本会が付けた奉天品番の164に当るが、見れば「瓶 中心に龍の柄が凸になってをる。景徳鎮窯 元」としてあるではないか。紛れもなく、と書いてある(下左図)。

さらに「このものは2点あり、わずか大きさが異る」としている。それが奉天品番165の当たるもので、下の右に並べて掲げた。いずれも本会発行資料本から転載したものである。

説明: C:\Users\ochiai\Documents\Scanned Documents\Documents\hyousi.jpeg  

 

 奉天品番165の説明には「瓶 藍色にて白地に繪が描いてある 景徳鎮窯 元」とあり、さらに「これは前頁のものから龍をとったものである。前頁のものよりやや太ってをる」と記す。 このような柄違いを中国では一対と呼ぶ場合がある。

 説明: C:\Users\ochiai\Desktop\IMG_0903.JPG説明: C:\Users\ochiai\Desktop\IMG_0904.JPG

 

 本会の見解

 本品の相棒の奉天品番165は何処へ行ったのか。いまだに公開されないのは、現所蔵者が公開する必要を認めないからであろう。一般流出品とは異なり、現在の所蔵者は愛新覚羅家が認めた相手で、その心理は正に愛新覚羅家と軌を一にする帝王学的境地と推察される。

結論は、本品は清朝初期の御器厰の傑作である。紋飾を青花白堆とし、龍の爪も敢えて4爪としたのは元代染付(青花)に範を求めたからで、愛新覚羅皇室のレガリア(聖遺宝)とするため、一対だけ造って後を絶ったのである。

だから類品は奉天品番165の外になく、それが公開されない以上世上の知る処とならないから、結局本品だけが姿を顕したのである。

本会の『陶磁図鑑』がこれを「元代」としたのは、今思えば誤りで、読者諸賢にはこのサイトにより謝るほかはない。しかし、発刊当時『陶磁図鑑』は公立私立各館の学芸員諸氏から侮りを受けてコピー呼ばわりされたが、「本歌のないコピー」が何を意味するか、諸氏は考えたことがあったか?

 奉天の蔵番人孫游先生も本品を「元代」と信じ、周蔵にそう教えたことは、これまでに挙げた「北宋品」とまったく同様である。この理由は、乾隆帝以後は、「奉天古陶磁」の厳秘性を貫くため蔵番人の孫家にも真相を教えていなかったため、と看る外はない。

以上

 

  平成23(2011)年9月1日

      紀州文化振興会 代表理事 落合莞爾