個別品解説

 8・緑定瓶(奉天品番33)

説明: C:\Users\ochiai\Desktop\Pictures\2011-08-28\2011-08-28 002.JPG 実物と来歴

左が実物である。本会への到来は平成2年の初夏であった。早速某氏を招いて見せた時、某氏は座り直して本会代表の落合に、こう告げられた。

「あなたは今後、何万点もの陶磁器をご覧になるでしょうが、これだけは言えます。これ以上のものをご覧になることはもうありません」。

中華陶磁の研究を始めて数か月の時期で、この世界の広さ・奥行きを知らなかったから、その言の重さを悟らなかった。ただ、其の物に心を打たれたので、精神がこれに集中し、いつの間にか事業を放り出していた。

紀州徳川家からの譲受に際し、窓口となった稲垣伯堂画伯の要請に応じて『陶磁図鑑』の発行を約束した本会は、直ちにメンバーを募り、研究と執筆を同時に進めたが,最も悩んだのが本品の時代鑑定である。 

世界中の陶磁書を集めても、このようなものは1点もない。されば、この世界の学者も見たことがないであろう。この世界は、業者は固より学者も悉く経験派ばかりで、たとい尋ねたとしても正確な回答はまず得られまいと教えられた。不正確もやむを得ないが、誤った観方を刷り込まれると、今後に響くから困るのである。

結局本会は、落合代表の独断により、本品こそ各種陶磁書に名前だけ存在する幻の「緑定窯」と結論して、「陶磁図鑑」にもそのように述べた。

当時、有名な中国学者が本会へ来られたが、本品を観た途端に「磁州窯」と言われた。本品の器式・図柄は確かに磁州窯全盛時代の北宋時代の風があるから、それが常識的見解ではあろうが、或いは之を「定窯」と見抜くかと期待していた本会は秘かに落胆した。

平成6年の暮れになり、とんでもない資料が飛び込んできた。これと酷似した瓶が印刷されたカタログである。他にも類品があったとは!

本会は慌てて臨時会議を開いて検討したが、落ち着いてそのカタログを見たら、本品とは歴然と違う。4年前に本会で「これ以上の焼物はもう出ない」と喝破された某氏も勿論招いたが、某氏はカタログを見るなり、「これはウチのもんとは違います。窓絵の形が丸すぎますね。光緒あたりに写したんやないですか」とバッサリ切り捨てた(そのカタログについては、本会発行の落合莞爾解説書をご覧いただきたい)。

それから2年して「奉天図経」が出てきた。平成7年9月、佐伯祐三絵画の真贋鑑定をめぐり、佐伯画伯のスポンサーであった吉薗周蔵の遺族から本会の落合代表に調査依頼があり、その流れの中で、吉薗周蔵が奉天で作成した「奉天図経」が吉薗家から提供されたのは平成8年の春であった。

説明: C:\Users\ochiai\Desktop\Scanned Documents\Documents\ryokutei.jpeg勇んで披いて見ると、案の定本品の記録がある。しかも「瓶 緑地に黒地に黒い線 定窯 北宋」と明記されている・・・・はっきり北宋としておるではないか(下図)。しかも類品はないようである。とすると、カタログの類似品はやはり清末の倣造品らしい。

説明: C:\Users\ochiai\Desktop\Pictures\2011-08-28 004\DSC00132.JPGこうなると、誰の意見も借りず、いかなる資料も見ることなく本品を「緑定窯」と判定したことから、落合代表には頗る得意の風が生じた。

「奉天図経」にはもう一点「緑定」があった。奉天品番29である。(左下図)

品番29の説明: C:\Users\ochiai\Desktop\ryokutei2.jpeg説明文には「瓶 緑色図にて水鳥(アヒル、鴨)蓮池と花 定窯北宋」とある。

説明: C:\Users\ochiai\Desktop\Pictures\2011-08-28\2011-08-28 004.JPG高さは、上半部が5寸2分8厘戸あるが、下半部の測尺を書き忘れている。最大径は9寸1分4厘1毛である。本品(品番33)は9寸1分0厘8毛だから3厘3毛(1ミリ)しか違わない。奉天品番29は、総体を緑地にしてその上に黒地を重ね、黒線で蓮池水禽図を彫り込んだもので、文様も本品とほぼ似たものと見て良く、正に一対である。未発見の「奉天図経」を含めても、「緑定」はこの一対しかなく、世界にも他にあるまい。

左図も本品の裏側である。改めて本品の特徴をいうまでもないが、文様を彫り込んだ線は鋭さと勁さが端々に顕れていて、地の黒発色も安定している。いかなる時代にあってもこの強健さは、力強い政治が行われている時期でなくては見ることの出来ぬものである。

となると念頭に浮かぶのは、品番29の行方である。実は、「奉天古陶磁」の中にはこのような流出先不明品がかなり存在し、発見されたら大騒ぎになって然るべきなのに、そんな話は一向に聞いたことがなく、数十年もの間、大家巨屋の奥深い蔵の中に眠っているものとしか考えられない。所蔵者がその価値を理解できずに蔵しているのなら、本会が「陶磁図鑑」を公刊したことで劇的な発見につながるとの期待もあったが、そんな反応はこれまで全くない。

 

 本会の見解

本品も品番29も、胎土が定窯の土ではなく還元炎焼成とみられる。因って北宋緑定ではなく、康熙御窯厰の「倣古品」で、しかも北宋のオリジナル品を十分に凌駕しえたと、臧應選が満足した「克古品」であろう。品番29と一対なのも、その証拠である。品番29の流出先は、愛新覚羅家が了解した某国皇室か、その関係先ではないかと思う。

説明: C:\Users\ochiai\Desktop\the_Kangxi_Emperor.jpgそれでは、例のカタログの類似品の正体は何なのか。之について本会が本品を北宋緑定と見ていた時は、カタログ品を清初期の倣古品と考えたのであるが、今それが改まり、本品を康熙窯の克古品と見ることになった以上、カタログ品は清末の倣造か、さもなくば小森忍の満鉄窯品と看る外はない。

左に掲げたのは、中国4千年の歴史上、最大の善政を施したとされる大清帝国三代康熙大帝の肖像である。「政を看るに器を以てする」と言われるように、歴代の政治は其の真相が焼物に顕れた。とすれば、康熙大帝の御宇には空前絶後の名陶が対応しなければならない。本品が空前絶後の陶磁と謂うのであれば、薗誕生は必ず康熙朝に求めなければないのである。

以上

 

平成23(2011)年9月1日

 紀州文化振興会 代表理事 落合莞爾