戦前の列強の牛炭疽菌の研究について(1)
外務省外交史料館に「刷毛(ブラシ)用獣毛関係雑件」とする一群の資料がある。
その資料の題名が「刷毛」と書かれていることから、見落とされがちであるが、実は日本から輸出したブラシに炭疽菌が付いていたことから国際的な大問題となり、大正六年七月にはオーストラリアが「……亜細亜諸国ヨリ濠洲ニ輸入スル髯剃(ひげそり)用刷子、其他化粧用品ニシテ、獣毛ヲ用ヒ作リタルモノハ、製造前充分ニ獣毛ヲ消毒シタル旨、衛生官憲ノ証明ヲ添付セザレバ輸入ヲ禁スル旨、濠洲政府ヨリ七月二十六日附官報ニテ公布セリ。右ハ本邦ヨリノ輸入品中Anthcanc其他、危険性ノ病菌ヲ発見セルニ依ル……」と日本からの輸入を停止する措置に出た。
ブラシに付着した炭疽(たんそ)菌の問題はその後も尾を引いて、大正十五年頃まで引きずることになり、当時の日本にとってブラシは重要な輸出産業であったことから、かなりの被害を受けることになった。
大正十五年八月十二日の「国民新聞」には、「……刷子の如きはその一つで年産額一千万円、輸出額四百六十万円に上り、欧洲戦争当時の如きは輸出額一千万円を突破したような事もある。刷子の主要産地は大阪で、大規模の工場があり、全国の約三分ノ二はここで製造され、残りの三分ノ一が東京で製造されていた。然るに、彼の大震災のために東京のブラシ工業は根柢から覆され、今ではそのお株を広島に奪われた形である。ブラシの種類は歯ブラシ、爪ブラシ、服バケ、洗バケ、髪バケ、壁バケ、靴バケ、化粧ブラシ、絵筆等種々雑多であるが、其の中最も多いのは歯磨(はみがき)刷子で、ブラシ総産額の約五六割を占め、絵筆(えふで)是に次ぐといった状況である……」と日本の重要な輸出産業であったことがみてとれる。
炭疽菌は「……炭疽症(たんそしょう)、炭疽(たんそ)とは、炭疽菌による感染症。ヒツジやヤギなどの家畜や野生動物の感染症であるが、ヒトに感染する人獣共通感染症である。ヒトへは、感染動物との接触やその毛皮や肉から感染する。ヒトからヒトへは感染しない。感染症法における四類感染症、家畜伝染病予防法における家畜伝染病である。以下、とくに断りがない限りヒトにおける記述である。皮膚からの感染が最も多いが、芽胞(がほう)を吸いこんだり、汚染した肉を不十分な加熱で食べた場合にも感染する。自然発生は極めてまれ。……」とウイキペディアにある。
炭疽菌が問題なのはその死亡率の高さにあり、そのため各国とも生物兵器の一種として開発を行っていたようである。輸出先で日本製ブラシが問題になったのは、当時から炭疽菌が細菌兵器として研究されていたことが重要な背景としてあるように思われる。
各国が細菌兵器として開発していた時期を推し量るうえで参考になる統計がある。それは外務省が一九一〇年から一九一二年までのイタリア、ドイツ、イタリア及び日本の統計を取っていた。それによれば一九一〇年はイギリス一七七六頭、ドイツ五三二九頭、イタリア二〇六七頭で、一九一一年はイギリス一一六三頭、ドイツ五七七一頭、イタリア一二九一頭そして一九一二年はイギリス八三九頭、ドイツ五二七四頭、イタリア二〇八六頭、日本四六一頭となっている。
敗戦の混乱が続くドイツで飛びぬけて高い発生数を示しているときに、イギリスは漸次減少傾向を示している。また日本は一九一二年即ち大正一一年までは発生していない。
その僅か三カ年分の数字では正確なことは云えないが、敢えて云えばイギリス、ドイツ、イタリアは第一次世界大戦中に炭疽の研究に着手し、中でもイギリスは、炭疽菌の発生メカニズムとその対策に目途が立ったことから、発生件数を抑止することが出来た。
しかし、ドイツは敗戦の混乱の中で開発が投げ出され、予防までは手が回らなかったことから高い発生数となったのではなかろうか?
そして日本では、大正一二年以前に炭疽菌は存在せず、ましてや開発も行われたことはなかった。
以上のような炭疽病についての推理を補完する資料として『吉薗周蔵日記』がある。外務省文書は恣意的な編集がなされている可能性もあり、鵜呑みにすることは危険であるが、その点、『吉薗日記』は見せるために書かれていないことから、外交文書の曖昧さを補うことが出来る貴重な存在だと考えている。
平成25年1月28日
紀州文化振興会 寄稿会員 南郷美継