天才佐伯祐三の真相   Vol.2

 

    第一章  真贋事件のその後

 

 第一節 加筆観の一般への浸透

 序章は「佐伯祐三の画業」と題して、佐伯の画業について概観したが、修復家の報告論文からの発見を緊急発表した性格のものである。ここからは、平成七年に世に出た吉薗資料に基づきながら、佐伯祐三の生涯と画業を追うこととする。

 吉薗資料については、月刊誌「ニューリーダー」に平成八年三月号より掲載中の私の論文「陸軍特務吉薗周蔵の手記」のなかで随時紹介してきたので、ご存じの向きも多かろうと思う。同誌の方針で拙論の副題を「佐伯祐三真贋事件の真相を追う」としているが、実際の内容となると、上原元帥付陸軍特務として国事に携わった吉薗周蔵の見聞を、編年体で解説したものであるから、大谷光瑞師の配下とはいえ一画学生にすぎぬ佐伯祐三に焦点を合わすべくもない。したがって、拙論が佐伯祐三や美術史だけに関心ある向きにとっては甚だ迂遠で、満足されぬものであったのも当然である。

 武生市真贋騒動に最終局面で加わった私は、武生市が吉薗家に返却した資料の提供を受けて調べた結果、武生市の美術館準備室の調査が意図的に偏り、その報告書たるや甚だしく真実を歪曲したものと確信した。 その概要を、拙著「天才画家佐伯祐三・真贋事件の真実」と題して時事通信社から公刊したが、そこでは公開作品の大半が米子の加筆品であることを示唆するに止め、佐伯の画業じたいを論ずることは避けた。画業そのものは後回しにしたのは、純粋な佐伯祐三絵画をまだ数多く見ていないからだが、何よりも専門家の参入に待っていたのである。

 今にして考えると私は、世間発表としては、吉薗周蔵よりも佐伯画業の真相をこそ優先すべきであった。それは、吉薗家伝来の佐伯遺作(吉薗佐伯)の真贋如何が、周蔵の遺児吉薗明子氏の現実生活に大きな影響をもたらすからである。それを判らないわけではなかったが、在野史家として、佐伯の真相を包む「吉薗周蔵手記」の底知れぬ魅力に逆らいきれず、周蔵の事績にかまけてしまい、佐伯一個の画業のごときは史上の一些事との浅見から、その検証を私は後回しにした。折角の佐伯関連の資料も、私が握り込んだ形となり、武生市役所が吉薗佐伯に不当にも被せた贋作疑惑の完全払拭のためには、何の役にも立ってこなかった。このため、父母の遺品を処分しながら生計を立てていた明子氏は、家計運営に狂いが生じたばかりか、武生市の贋作騒ぎに端を発する金銭貸借の行き違いから、遂には予想もせぬ刑事事件に問われてしまった。

 私が敢えて佐伯の画業に踏み込まなかった理由は、浅学を自覚するだけではなく、他所者の参入を嫌がる美術界のムラ社会的空気を慮ったからである。私が美術史に野心を持たぬ処を、ムラの住人たちに察して頂き、気鋭の美術史家の「佐伯研究を私が引き受けよう」との一言を待っていた。しかし、この姿勢は結局は迂遠で、今更取り返しのつかぬ私の判断ミスであった。美術専門家からのアプローチは遂になかったので、今からは門外漢の身を省みず、私自身が吉薗資料を根拠として、佐伯の画業の真相を明らかにしていく所存である。

 美術専門家の無視にも関わらず、米子加筆に関する私の主旨は、極めて短時間に日本社会に浸透した。今や紀伊半島の田舎の美術愛好家さえもは、佐伯祐三と聞いた途端、「ああ、例の嫁はんが加筆した絵のことか」と応える有様である。例えば、インターネットを開けば、つぎのような書評が出ていた。

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●「天才画家『佐伯祐三』真贋事件の真実」(落合莞爾、時事通信社、\2,500)

 推理小説は結構読みますが、この本は推理小説顔負けの面白さがありま す。言い古された言葉ですが、「事実は小説よりも奇なり」を地で行くと言うところでしょうか。

 一時は新聞の社会面にも載ったことがありますが、事件のあらすじをごく簡単に書くと、次のようになります。

 平成六年、福井県の武生市に対して、岩手県遠野市に住む吉薗明子さんから、佐伯祐三の未発表の作品多数と関連資料を寄贈したいとの申し出がありました。武生市では早速、専門家の委員会をつくって検討してもらったところ、ホンモノとの意見だったために、寄贈を受け入れ佐伯祐三記念館を建設することにしました。

 ところが、東京の画商団体から、それらの作品は偽作であるとの声明が出されたことから、吉薗寄贈品の真贋を巡って議論を呼び、武生市側では再度委員会で詳しく検討したところ、今度は一転して、ほぼ画商団体の主張通り、偽作臭いという結論に落ち着き、結局、美術館の建設を断念という結末で終わります。

 著者は、この事件の途中から吉薗側の代理人として関与し、吉薗家の保有する作品と資料がホンモノであることを立証するために調査を行うわけですが、この本は、最終的に偽作であるとの結論を出した武生市の調査に対する反駁の書というわけです。

 焦点は、これらの作品を取得した人物、吉薗明子の父親である吉薗周蔵です。作品一つが億単位で売買されることもある佐伯祐三の未公開の作品を、なぜ無名の吉薗周蔵が大量に持っているのか。  

 この点、武生市の委員会は、周蔵と佐伯との接点は見つからず、また周蔵には経済的な裏付けもないと結論づけた訳ですが、著者は、綿密な資料の収集と分析を重ね、周蔵は帝国陸軍の上原元帥につながる特務、いわゆるスパイであり、社会の裏面に隠れながら佐伯祐三を支援してきた人物であるという、意外な結論を導き出します。

 これだけをはしょって書くと荒唐無稽なとんでも本に聞こえるでしょうが、この本の中では、多くの資料を丹念に当たり、綿密な調査を踏まえて証明しています。そして、証拠を積み重ねながら、吉薗周蔵を生き生きと蘇らせて行くところは、まさに推理小説顔負けの面白さです。

 また、もう一つの面白さは、武生市の態度の変化に見られるように、新しい佐伯祐三作品の登場を喜ばず、それを抹殺しようとする画商団体の強引な動き、それに協力して権威づける評論家たち、さらに偽作キャンペーンを展開しお先棒をかつぐ一部のマスコミと言った形で、日本の美術界のどろどろして閉鎖的な側面が浮き彫りになっていくところです。

 このように書くと、すっかりこの本に洗脳されたように見えるでしょうが、実際これだけの裏付けを見せられると、なかなか反証は難しいような気がします。

        ----- しのごの 九七/一〇/〇四記 -----

 これのような一般社会の反応に対して、業界というか美術専門家のその後の動向は表に出ないが、何よりも象徴的なのは、これまで没後何十年記念と銘打って、十年ごとに佐伯祐三展覧会を開催し、まるで佐伯を独占してきた観のあった朝日新聞社が、佐伯生誕百年にあたる一九九八年(平成九年)に、何の企画も打ち出さなかったことである。こうした地合を受けて、美術市場では、佐伯作品の売買が極端に手控えられるようになったと聞く。これまで、もてはやし探し回っていたのに、余りにも現金と思うが、それが人情であろうし、ことに公的資金の支出対象となると、美的感覚だけでは動けないのが当然なのであろう。

 

 第二節  一億三八六〇万円

 ところが、ここに例外があった。鳥取県である。平成九年九月の鳥取県議会では、県が新規に購入した代価一億三八六〇万円の佐伯祐三作品『オーヴエルの教会』をめぐり、質疑と応答がなされた。争点は県側の美術品の収集方針の不明確と購入方法の不備に終始したが、結果は県側が、各県の実情と同じである、と主張して、議員側の追及をかわした。

 その際に特筆すべきは、議員側が米子加筆説を正面から取り上げたことである。県側はこれに対して、美術評論家朝日晃氏の「ご意見」を盾にして追及をかわした。その他にも、佐伯作品に関する興味深いやりとりがあるので、以下にこれを抄録する。

 川上義博議員

 「・・・ところで、佐伯祐三については、最初にまず福井県武生市の真贋問題を思い起こさせたのであり、佐伯の作品はこれ以降、佐伯の真作とされてきた既公開作品の大半は、妻米子が仕上げたことが明らかとなっているのであります

 上の発言は、さきに県が購入した『オーヴエルの教会』が問題となり、県側が朝日晃氏を招聘して再鑑定したことに関する質疑の一部、である。「武生市の真贋問題より以降は米子加筆が明白となった」との認識に立つ川上議員は

 「その絵は、当初の(県側の)説明では、鑑定もなく画集にも掲載されていず、展覧会にも出品されていないもので、その上、佐伯米子から出自された可能性が高い作品であるとのことであった」だから「以上の点からみれば、だれでもが疑問を抱くことは当然のことであります」

と言い切り、さらに

 「コレクションの目玉はその画家の代表作でなくてはならず、たとえば佐伯では『モランの寺』などであるべきもので、いかに朝日晃氏の耳触りのいい発言はあったにせよ、この作品ではどう見ても目玉にならないのではないか」

と迫った。田淵教育長は米子加筆の問題に関して、「本年度から新たに、教育委員会に美術資料収集評価委員会を設け、常任委員五人と、必要に応じて参加してもらう特別委員とで組織することとした。このたびの佐伯祐三の作品についても、常任委員の中に佐伯作品に詳しい方もおられたし、再鑑定をしていただきました朝日氏にも、画商を通じてあらかじめ意見を聞いており、真贋問題は大丈夫であるとの委員のご意見もあって購入手続きを行ったものでございます」と応じた。要するに、「購入先の画商に依頼して、あらかじめ朝日晃氏の意見を聴取してあった」というのが第一の言い訳である。だが、これだけでは、県は朝日氏に鑑定の責任を問うことができないから、議会で問題化しても当然であろう。そこで、第二の言い訳のために、朝日氏を県に直接招聘して再鑑定させた、ということになる。

 「あの絵では目玉品にならない」という川上議員の追及に対しては、西尾知事が「先般再鑑定をお願いいたしました朝日晃氏の話によりますと、佐伯祐三が画風の模索を始めたころのゴッホやヴラマンクといった著名な画家とも結びつく記念品[碑?]的な作品という意味で、大きな価値があるということであります」と答えている。

 川上議員はさらに「県の購入のルールとして、収集評価委員に任せるのでなく、鑑定書を取る必要があるのではないか」と質したところ、知事は「鑑定の必要なものと必要のないものがある」と答えた。そこで川上議員は「美術館というものは真贋が何よりも大切である。たとえば横山大観の場合、今の収集評価委員では誰も鑑定ができない。横山大観記念館を措いては鑑定できる所がないわけである。とすれば、佐伯祐三はだれが鑑定するのか。東京美術クラブか、あるいは朝日さんなのか。そこを質しているのである」と強調したうえ、次のように迫った。

「最初に、(県側は、この)佐伯祐三は画集に載っていないと言った。ところが、調べたら載っているんです。隅っこの方に小さく載っているんです。小さい作品が。カラーじゃない、モノクロで載っているんです。調査不足なんです」と・・・その主意は、こんなお粗末な委員会では佐伯絵画を鑑定できる筈がない、ということであろう。

 これに対して、田淵教育長は

 「収集評価委員会の常任委員は確かに専門分野が決まっているが、それ以外の分野の作品が出てきたときには、特別委員をお願いして収集委員会に加わっていただくという制度になっており、今回は朝日さんに特別委員として加わっていただいてご意見を聞いたという形でございます」

と説明し、朝日晃氏が今回は県の特別委員となりに就任し、『オーヴエルの教会』を評価したことを明らかにした。つまり、朝日晃は特別委員として意見を述べたに止まり、鑑定書は提出しなかったのである。

 因みにこの時教育長は、画集の見落としに関して苦しい弁解を付け加えた。曰く

 「昭和五十四年に朝日新聞社が出した画集につきましては、これは本当は『オーヴエルの教会』であるのに、『クラマールの教会』と誤って記載して説明していると。さらに、写真が裏焼きの状態で紹介されているということですから、それには『オーヴエルの教会』という形で発表されたことにはなっていないということであります。この画集そのものが間違いである、ということであります。そういう意味で、画集にもないと言うことは申し上げたと思います」と。

見落としを画集の編集ミスに転嫁したわけである。鑑定書については、田淵教育長が

 「全国の公立美術館で鑑定書をもとに購入している例はございません。参考にするかもしれませんが、あくまで収集委員会あるいは評価委員会のメンバーのご意見で購入しているということを聞き及んでおります」

と答えたので、川上議員は

 「鑑定書を美術館は取っていないなんて、そんないい加減なことをいっちゃいかぬのですよ、だれの話か知りませんけど。外国の美術館は必ず鑑定を取りますよ。日本の場合はあしき慣習が残っていて、学芸員の自分が選ぶのだから鑑定書は必要ないですよと、こういうあしき習慣をずっとやってきたのです」

と、旧来の陋習を指摘した上、今後はあくまでも鑑定書を取る方向が重要だと強調した。

 すると教育長は

 「鑑定書については、現実の各県の美術館でそういうものはあるかもしれないが、鑑定書をもとにして購入した例はないと聞いておる」

と切り返し、「結局は収集委員会の権威と鑑定書の権威とどちらが優先かということになろうかと思うが、各県とも収集委員会の意見で購入している」と反論した。

 これを要するに、川上議員が米子加筆説に立って、絵画購入の不適切を鳴らしたのに対して、県側は、購入時点から画商側と関係のあった朝日晃氏の意見を盾にすることにより、何とか切り抜けたわけである。

 要するに、購入に際する鑑定評価の方法として、朝日晃氏の鑑定書を取るか、朝日氏を特別委員に任命して意見を述べさせるかの選択の問題があり、教育長は、各県とも委員起用制を採っているとして、県のやり方を自己正当化した。川上議員は、それこそ学芸員が恣意をほしいままにする日本の悪しき習慣で、他国では鑑定書が主流である。だからこそ改善が必要なのだ、と追及したのだが、県側はまともに答えていない。

 以上見てきた鳥取県のケースは、佐伯祐三の画業に関連するほか、今日のわが国の公的収集のあり方を見る好個の例として、ここに記録しておくことにした。  

                                   (続く)

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