「佐伯祐三の絵に加筆」
故夫人、書簡で告白?
日本を代表する洋画家として大正から昭和初期にかけてパリを中心に活躍した故佐伯祐三の
妻で洋画家の米子夫人が、かなりの数の佐伯作品を加筆して仕上げていた事実を自ら告白している
書簡が11日、共同通信社が入手した佐伯に関する資料から見つかった。
書簡は、生前の佐伯を物心両面で支援していた精神カウンセラー、故吉園周蔵氏あて、仕上げ
の手法を明示し、加筆すれば「売れる画」になるとして、吉園氏の手元にある佐伯の遺作を譲渡
するよう懇願している。
夫人自ら加筆の事実を告白した資料が明らかになったのは初めて。内容が事実 とすれば
”夭折の天才画家”佐伯の作品研究の見直しを迫ることになりそうだ。
見つかった米子夫人の吉薗氏あての書簡は全部で11通。和紙やノートの切れ端に、鉛筆や
筆で書かれている。岩手県の遠野市に住む吉園氏の長女明子さん(51)が所有している。
米子夫人が加筆を明かした書簡は縦18cm、横14cmの和紙2枚に鉛筆でびっしりと 書き込まれ
ているが、日付は入っていない。
全国裁判長選任鑑定人が筆跡鑑定。米子夫人が佐伯の友人の洋画家、故荻須高徳
にあてた昭和6年3月25日付けの書簡と比較した結果、同じ米子夫人の筆跡と判明した。
夫人は佐伯を「秀丸」と幼名で呼び「秀丸そのままの絵ではだれも買っては下さらないのです。
私が手をいれておりますのよ 秀丸もそれをのぞんでおりましたし」 (文中の旧かな遣いは
新かな遣いに変更、以下同じ)と、佐伯の同意を得て加筆していたと主張。
その上で「画つらの絵のぐや下じが厚いものにはガッシュ(不透明の水性絵の具)というものを
使い画つらをととのえ また秀丸の絵の具で書き加えますでしょうすこしもかわりなくよくなります
のよ」と具体的な加筆方法を説明している。
米子夫人は「秀丸はほとんど仕上げまでできなかったのです。」とした後「あなたのお手元に
あるもの私が仕上げればすぐに売れる絵になりますのよ」と、仕上げた佐伯の作品による
展覧会の開催を吉園氏に持ちかけている。
米子夫人は明治30年7月生まれ。東京・銀座の象牙商の長女で水墨画の北画を 学んだ。
大正9年11月、佐伯と結婚し二度の渡仏にも同行。佐伯が昭和3年8月16日に30歳で亡くなった
後の同年の10月末に帰国。作画家として活動。同47年11月に75歳で死亡した。同時に見つかった
書簡の中には「告別式(同3年11月25日)のお知らせをおいてまいりました」と書かれた、帰国直後の
11月14日付けのものや、吉薗氏から遺作が大量に送られてきた事を喜ぶ、年不明の1月20日、24日
付けのものなどがある。
事実なら重大な影響
美術評論家の坂本満 聖徳大学教授(美術史)の話
佐伯祐三の作品に米子夫人が加筆して仕上げているとか、佐伯の作品といわれて
いるものの中にやはり洋画家の米子夫人自身の作品が混じっているとのうわさは、
20年くらい前からあった。書簡に書かれていることが事実なら、近代の日本美術
史と佐伯の研究に重大な影響を与えることになるだろう。
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