「堀川政略」の概容 ナポレオン戦争を経て、半封建的領邦国家から近代国民国家に変貌した欧州列強からの日本に対する国際化要求は光格天皇の御宇に始まり、欧州王室連合から日本皇室に対する皇室国際化の要請がしだいに現実味を帯びてきました。 具体的には、将来の世界王室連合への参加の呼びかけです。これについて、孝明天皇と側近が討議を重ねます。側近とは仁孝天皇の猶子(ゆうし)で孝明にとって養兄に当る青(しょう)蓮院(れんいん)宮尊(そん)融(ゆう)法親王と侍従岩倉具視です。 討議は、わが国が欧州列強に交わり近代国民国家として国際舞台に立つためには、政体の新しい装いとして立憲君主政体の樹立が必要になることで一致します。これを前提に、古代から続くわが國體(こくたい)を護持しつつ皇室を国際化するには、畢竟(ひっきょう)皇室を表裏に分けて二元化するほかないとの結論に至ったのは、日本天皇の本質が国民国土の安全を祈念する国家シャーマンだからです。つまり「オオキミはカミにいませば」の本義です。 大政奉還が行なわれて京都に政権が移ると、徳川幕府の本拠江戸は廃れて旧(もと)の武蔵野になることを、天皇は憂慮しました。国土の均衡上、立憲君主制の帝都を東京すなわち江戸に定めねばならず、国家元首たる天皇は、政体と皇軍に君臨するため東京城を皇居としなければなりません。 しかしこれでは國體天皇の国家シャーマンとしての霊力に陰りが生じます。大峰山から富嶽に昇る朝日を拝するためには、関東に動座することは適いません。これにより政体天皇は東京城に、國體天皇は西京(京都)に座すべきことが必須条件と認識されたのです。 皇室が世界王室連合に参加すれば、王室間外交は勿論、欧州王室の慣行である王室間通婚を避けて通れず、その結果皇統に外国王家の血統が入れば、わが国従来の國體観念と乖離(かいり)する虞(おそれ)があります。また世界王室連合の一員となった皇室は、王室連合の金融を担当する金融皇帝ロスチャイルドに対する協力・支援も必要となり、国際金融にも無関係でいられなくなります。 孝明がさらに重要視されたのは、開国に際して生ずべき国民間の各種対立と抗争を極小化することだと考えられます。当時、日本社会の地質構造には三本の大きな断層が走っていました。そのことは、十一月末に成甲書房から公刊する予定の拙著『明治維新の基本計画「堀川政略」』(仮題)で詳述しますが、①皇統の南北対立、②朝廷と幕府の対立、③公家・武士階層内での上下対立がこれです。 開国に際しては外国勢力は必ず国内介入の機会を狙い、右のいずれかに眼を付けること必定です。外国の介入の結果は臣民相(あい)撃(う)つ内乱に逢着(ほうちゃく)し、挙句の果てに植民地化もあり得ぬことではなく、人民は永く塗炭(とたん)の苦しみに陥ります。 この事態を避けつつ上記の三大対立を解消して、新しい立憲君主政体の樹立を志した孝明天皇は、それを実現するためのプログラムを国事御用掛朝彦親王(時に青蓮院宮)と侍従岩倉具視に諮問したのです。これに対して両人が奉答したのが「堀川政略」です。 その内容を正確に把握することは素より困難ですが、その戦略的骨子はおおよそ下記の如きものと推察されます。
①孝明天皇が崩御を装って、皇位を南朝皇統の大室寅之祐に譲る。 ②睦仁親王及び、妹の皇女壽萬宮・理宮も薨去を装い、父天皇と共に隠棲する。 ③隠れ家として、水戸斉昭が堀川通六条の本圀寺に「堀川御所」を造営する。 ④大室寅之祐は睦仁親王と入れ替わり、孝明の偽装崩御後に践祚して政体天皇に就く。 ⑤堀川御所に隠棲した孝明は國體天皇となり、政体に代わり皇室外交と国際金融を担当する。 ⑥一橋慶喜は将軍就任を回避し、尹宮(時に青蓮院宮)と公武合体政権を建てる。 ⑦幕府は十四代を以て大政奉還し、幕藩体制を終了させて立憲君主制の新政体を建てる。
これを実現するために幾つもの戦術が組み立てられましたが、当初にすべてを建てることはムリで、臨機応変に対処したのは当然です。その主なものを幾つか挙げます。 ①御所建春門外に「学習院」を開設し、儒学・明經道を表看板をとして、実は国学・神道教育を行う。 ②学習院を下級公家(平堂上)と尊攘下士のアジトとする。 ②尹宮と表裏一体の矢野玄道が、佐賀藩士副島種臣を使って兄の枝西神陽と意思疎通し、神道系シャーマニズムを鼓吹する。 ③枝西神陽が楠木正成の尊崇運動を初め、学習院を通じて尊皇諸藩の下士に広める。 ④薩摩藩・長州藩で楠公尊崇が藩論となるよう工作する。 ⑤安政の大獄による謹慎を利用し、慶喜と尹宮(時に青蓮院宮)が「堀川政略」を実行する。 ⑥万延改鋳で保字小判を買い占めた小栗が、利益を保字金として退蔵する。 ⑦文久の改革で、慶喜と小栗がオランダにフリゲート艦を発注し、榎本武揚らをオランダに派遣する。 ⑧在欧の榎本が日本関連の国際情勢を、勝海舟を通じて慶喜に報告する。 ⑨榎本武揚が将来の小栗渡米(結果は亡命になった)の準備を整える。 ⑩慶喜が渋沢栄一をフランスに派遣する。 ⑪勘定奉行の小栗と塚原昌義が兵庫商社を設立し、紙幣(兵庫金札)を発行する。 ⑫勘定奉行兼軍艦奉行並の小栗が勘定吟味役小野友五郎をアメリカに派遣し、甲鉄艦を買付させる。 ⑬大政奉還に備え、勝海舟が慶喜の恩赦を前以て図り、小栗退蔵金から孝明に献金する。 ⑭甲鉄艦の到着前をタイミングとして、大政奉還を奉告する。 ⑮米国公使が甲鉄艦の幕府への引渡しを保留する。 ⑯戊辰戦争に際し慶喜と勝海舟は恭順を表明し、小栗と小野は抗戦を叫びながら蟄居し、塚原はアメリカに亡命し、榎本らは抗戦する。 ⑰岩倉が東山道鎮撫総督府を身内で固め、剣客原保太郎を総督随行に任じて小栗の救出にかかる。折田彦市が岩倉と原の連絡に当たり、原が小栗を偽装処刑して逃がす。 ⑱小栗は塚原の手引きでアメリカに亡命して三井物産設立の準備をする。 ⑲榎本はフリゲート艦開陽を直接戦闘に参加させず、幕府の海軍力を封印する。
まだまだありますが、これ位にしておきましょう。
平成二十四年十月十三日 紀州寓居で秋雨の音を聞きながら 落合莞爾
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